第2話…新しい体育館と音楽室

第2話…新しい体育館と音楽室

(1話のつづきになりますが、文章数が限られているので分けさせてもらいます。)

私は納得できず、引きこもって客間に置いてあったピアノばかり弾いていました。そこで覚えたのが、ベートーヴェンの"エリーゼのために"です。母が夕飯前に引いていたのを見ていたのと、聞いていたので、見よう見まねで覚えました。不思議です。
その頃から母に「あんたどっかおかしいんちゃうやろか。なんか自分の名前やら最近まで漢字で書かへんかったのに、算数とか音楽とかはすぐ覚えるなぁ。チックかもしれんし、お母さん心配やわぁ。」
と、言われていて不快な気持ちだったことを覚えていますが、チック(チック障・チック障害)の意味は分かりませんでした。

引きこもっていても、庭の鯉と喋るか、近くの天理教のおっちゃんと話すくらいしかする事がなかったので、そのよく月から祖父の家の近くにある小学校に通うことになりました。

議員をしていた祖父が「わしの孫ですにゃわ。今後とも宜しゅうお願いします。」とか、なんとか。
ゴルフなどで交友を持っている校長先生に大きな声で話していて、とても恥ずかしかったのも記憶にあります。

(学校の中には、保健室、音楽室、廊下、全てに祖父が描いた"油絵"がたくさん飾られていました。それを見て、初めて絵が上手いんだなぁと知りました。)

新しい学校は、運動場もすごく広くて奥に行くとアスレチックがあるような田舎ならではの学校でした。

そこで、私は友達を作ろう!とは、思いませんでした。なぜかと言うと、なんだかとても皆んな下品な言葉遣いだし、お箸の持ちからも汚く、金髪の子ども達もいて、小学校3年生とは思えませんでした。

"この子達と一緒にいたら、おんなじ様に周りに見られる"

と思って、学校が終わる時間に校門前まで祖母に迎えに来てもらっていました。散歩や、道端に咲いている花、夕焼けの空などをぼーっと見たりするのが好きな祖母は、苦にならなかったとか…。

(今思えば、急いで夕飯の準備をして、バタバタ向かってきてくれてたに違いないな…優しいな。と思います。だって、いつも笑顔で、キンカンやみかん。季節の果物などを、"近所の○○さんにもらってん。
いい香りするやろ!これ食べたら皮むいてお風呂入れよか!♪"など、話しかけてきてくれていたけど、エプロン姿のままでした。

つづく

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